東洋医学のダイナミックな考え方*不妊症*不妊治療*漢方解説
そこへ行くと、東洋医学は『適切なる治療」ができるのである。というのは、生きた人間の全貌をダイナミックに有機的に、総合的に観る立場である漢方は、『各臓器の相互関係』について、気・血・水の生命現象が実在するとしている。これは”生命現象に孤立現象なし”といったオーギュスト・コントの生命理論と同じ観点である。
そして病気の本態を、現代医学のように各臓器の形態変化に求めないで、諸臓器の機能的相互関係に求め、それに、気の変調としての気滞、血の変調としての血滞(お血)、水の変調としての水滞(水毒)を重要な病理現象として取りあげている。
現代物理学に大変革をもたらした相対性理論のアインシュタイン博士は、「理論とは、物の事実をまとめたものでなく、物の姿の認識である」といっている。その物の姿は、不動的なものでなく、常に流動的なもので且っエネルギーを凝集しているものである。
生きた人間の姿も、これと同じく、不動的なものでなく、常に流動的なもので且つエネルギーを凝集しているものである。
この生きた人間の全貌を認識する生命現象として、東洋医学では気・血・水の三因子を考え、これら因子の変調と不調和によって病気がおこるとした。
近代病理学の祖ウイルヒョウは、「細胞こそ、健康状態および病的状態を通じて一切の生命現象の究極的有形単位であり、一切の生命活動の発源地である」「細胞こそ、活動の座であり、生体の疾病はこの細胞または細胞群の異常によって発生する」(細胞病理学:吉田富三訳)と、声高らかに細胞病理学説をとなえ、十九世紀後半から二十世紀前半までの世界を風靡するに至ったが、これは不完全な病理観である。というのは、この病理観は生体を「細胞→組織→器官」と要素的に分析研究する結果・臨床的にはそれぞれの器官系に応じた各専門科への分化となり、消化器・循環器・呼吸器・神経系・・・・・・あるいは内科・外科・産婦人科・耳鼻科・眼科・皮膚科・・・との専門科を生むに至り、生きた人間の診断治療も機械化し、非人間化した。その結果、人間大局的に有機的に総合的に、取り扱うことを無視するに至ったからである。
私はあえて誤謬とはいわない。これについて、ウイルヒョウの直弟子である藤波鑑博士(京都大学病理学教授)は、
「局所観に立つ細胞病理学にのみ膠着して全身観を等閑に附すならば、生体内の個々局所病変はなんら関連なきものの偶発に過ぎざるものとなり、終に疾病の真相を担うるに由なかるべし」(病理学に於ける局所観、関係観、全身観:藤波鑑撰集)
と述べ、その不完全さを証明している。
私の見解によれば「気・血・水」もまた、「生命活動の発源地であり、活動の座である」いや、これこそ、実地に即した生きた人間全貌の生命現象であり、ベルナールの「内部環境」である。
このフランスの大生理学者クロード・ベルナールは、人間の生命維持には二つの環境<外部環境と内部環境>が必要である、といった。外部環境たる衣・食・住がわれわれの生命維持にとって大切なことは申すまでもない。それと同様に、内部環境たる気・血・水がつねにコンスタントに保たれてこそ、細胞は栄養物を摂取し、不要物を排出して生存しているのである。そしてそれがコンスタントに持続されている限り、生命は体外の変動から守られ、したがって自由である。
ベルナールは、「生命の自由と独立の条件は、内部環境が不動なことである」と述べている。有名なハーバート大学の生理学者W・B・キャノンは、これを恒常性維持機構=ホメオステージス(Homeostasis)とよんだ。
この内部環境ホメオステージスたる気・血・水の変調状態--気滞・血滞・水滞の病理観は、今日は便利だが明日は役立たなくなる抽象的理論体系でなく、治療に適応した具体的理論体系であるため、東洋医学の存する限り、永遠に東洋の体液病理学説として風靡するであろう。体液病理観に立つ東洋医学は、病人をダイナミックに全体的に機能的に観察する立場上、ヒポクラテス医学ともいえよう。
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そこへ行くと、東洋医学は『適切なる治療」ができるのである。というのは、生きた人間の全貌をダイナミックに有機的に、総合的に観る立場である漢方は、『各臓器の相互関係』について、気・血・水の生命現象が実在するとしている。これは”生命現象に孤立現象なし”といったオーギュスト・コントの生命理論と同じ観点である。
そして病気の本態を、現代医学のように各臓器の形態変化に求めないで、諸臓器の機能的相互関係に求め、それに、気の変調としての気滞、血の変調としての血滞(お血)、水の変調としての水滞(水毒)を重要な病理現象として取りあげている。
現代物理学に大変革をもたらした相対性理論のアインシュタイン博士は、「理論とは、物の事実をまとめたものでなく、物の姿の認識である」といっている。その物の姿は、不動的なものでなく、常に流動的なもので且っエネルギーを凝集しているものである。
生きた人間の姿も、これと同じく、不動的なものでなく、常に流動的なもので且つエネルギーを凝集しているものである。
この生きた人間の全貌を認識する生命現象として、東洋医学では気・血・水の三因子を考え、これら因子の変調と不調和によって病気がおこるとした。
近代病理学の祖ウイルヒョウは、「細胞こそ、健康状態および病的状態を通じて一切の生命現象の究極的有形単位であり、一切の生命活動の発源地である」「細胞こそ、活動の座であり、生体の疾病はこの細胞または細胞群の異常によって発生する」(細胞病理学:吉田富三訳)と、声高らかに細胞病理学説をとなえ、十九世紀後半から二十世紀前半までの世界を風靡するに至ったが、これは不完全な病理観である。というのは、この病理観は生体を「細胞→組織→器官」と要素的に分析研究する結果・臨床的にはそれぞれの器官系に応じた各専門科への分化となり、消化器・循環器・呼吸器・神経系・・・・・・あるいは内科・外科・産婦人科・耳鼻科・眼科・皮膚科・・・との専門科を生むに至り、生きた人間の診断治療も機械化し、非人間化した。その結果、人間大局的に有機的に総合的に、取り扱うことを無視するに至ったからである。
私はあえて誤謬とはいわない。これについて、ウイルヒョウの直弟子である藤波鑑博士(京都大学病理学教授)は、
「局所観に立つ細胞病理学にのみ膠着して全身観を等閑に附すならば、生体内の個々局所病変はなんら関連なきものの偶発に過ぎざるものとなり、終に疾病の真相を担うるに由なかるべし」(病理学に於ける局所観、関係観、全身観:藤波鑑撰集)
と述べ、その不完全さを証明している。
私の見解によれば「気・血・水」もまた、「生命活動の発源地であり、活動の座である」いや、これこそ、実地に即した生きた人間全貌の生命現象であり、ベルナールの「内部環境」である。
このフランスの大生理学者クロード・ベルナールは、人間の生命維持には二つの環境<外部環境と内部環境>が必要である、といった。外部環境たる衣・食・住がわれわれの生命維持にとって大切なことは申すまでもない。それと同様に、内部環境たる気・血・水がつねにコンスタントに保たれてこそ、細胞は栄養物を摂取し、不要物を排出して生存しているのである。そしてそれがコンスタントに持続されている限り、生命は体外の変動から守られ、したがって自由である。
ベルナールは、「生命の自由と独立の条件は、内部環境が不動なことである」と述べている。有名なハーバート大学の生理学者W・B・キャノンは、これを恒常性維持機構=ホメオステージス(Homeostasis)とよんだ。
この内部環境ホメオステージスたる気・血・水の変調状態--気滞・血滞・水滞の病理観は、今日は便利だが明日は役立たなくなる抽象的理論体系でなく、治療に適応した具体的理論体系であるため、東洋医学の存する限り、永遠に東洋の体液病理学説として風靡するであろう。体液病理観に立つ東洋医学は、病人をダイナミックに全体的に機能的に観察する立場上、ヒポクラテス医学ともいえよう。
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